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8月 08, 2025 10:30am
なぜ神様を待たなければいけないか 遅延に隠れる祝福
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私は5歳の孫娘に言いました。「たった2週間待てば海に行くよ。」彼女は喜びで立ちました。「2時間だけなの?」しかしそれが聞き間違いだと知ったらがっかりしました。小さい子供には2週間が永遠のように感じるのです。

同じ日、孫娘は一緒に外で遊ぶ願いをしました。ですが、私はその時調理していたので、少し待ってくれると応えました。また彼女はがっかりしました。今回、きっかけに彼女に教えました。「ほしいことを待つのは、態度も関係あるよ。」

その後、彼女をブランコで押しながらその言葉を振り返ました。私も待っている時どのくらい悪い態度を取るのでしょうか。

あなたは何を待っているでしょう。もしかして新しい仕事、または何かのチャンス。それか、何年も祈っていることに神様が応えてくださる時。結婚、子供、または自分の健康に困難があって神様の助けを待っているかもしれません。自分の信仰に復活か、大切な人が信仰を得るか、教会に奇跡が起こることを待っているかもしれません。それか、迫害の途中で救われる時を待っているかもしれません。どんな理由でも、あなただけが何かを待っているわけじゃありません。

聖書には神様を待っている人の話は数え切れない程たくさんあります。血の病気で苦しんでいる女性はイエス様の裾を触れるまで12年待っていました。ベテスダの池で歩けるようになりたい男は38年も待っていました。ヨハネによる福音書9章には目が見えない男の話があります。生まれた時から見えるようになる時を待っていました。病気になると回復を待っているのが大変です。他の困難も待っているのが大変です。ヨブはすべてを失ってズックと灰をかける状態で待っていました。兄弟に裏切られたり言いがかりで牢屋に入れられたヨセフも待っていました。殺害で逃げたモーゼは40年間砂漠で待っていました。私たちは試練の中にいると「なぜ」と聞きがちです。そして、時に神様はヨブに答えられたように私たちにも答えてくださいます。神様を信じて待つしかない時もあります。

あなたが救いを待っているのは病気や試練からではないかもしれません。神様が聖書に書いている約束を果たす時を待っているかもしれません。神様が約束を果たすところを待っている信仰の偉人は何人もいました。ノアは神様が雨で世界を滅ぼす約束を果たすまで120年間待っていました。アブラムとサライはあり得ない息子の約束を待っていました。ダビデは幼い頃油に注がれて王になる約束をもらいました。しかし30歳までその約束の実現を待っていました。シメオンには、死ぬ前にメシアに会う約束を頂きいましたので信仰を持って待っていました。使徒も聖霊を頂くのはペンテコステまで待てなければいけませんでした。パウロは神様に選ばれた器になって御名を「イスラエル人だけでなく、世界中の人々や王たちに伝える」と約束を頂きました。(使徒の働き9章15節)しかし、伝道を始めるまで3年間アラビアで待たなければなりませんでした。

神様は決して焦りません。日々や季節が経っても神様の不安になりません。時の外で座って、最初から最後まですべてが見えます。私はこのことを知った上でいい態度を取って待つことができます。それは、目を天国に移して心に神様を持つ態度です。キリストのように謙遜な態度を取って、すべてを喜びに受けることができます。信仰の試練は私たちの忍耐力に成長させて、人生に善を生み出します。(ヤコブの手紙1章3‐4節)待つことによって私は神様に頼れるよになります。あなたも今何かを待っているのであれば、あなただけじゃないと覚えてください。聖霊に満たされることを待っていた使徒のように、私たちも空っぽになってから満たされます。待ちながら働くノアのように、私たちも神様の仕えで働くべきです。自分の目でメシアを見たシメオンのように、私たちもキリストが戻る日を喜びで待ちます。人生は待つものです。私たちは良い態度で待てるようになりますように。

Copyright © 2025 by Kimberly Williams @ www.kimberlywilliams.org No part of this article may be reproduced or reprinted without permission in writing from Lifeword.org.